私は現在50歳。陸上無線技術士(第1級無線技術士)に合格してから航空管制官となり今は放送局に勤務しております
私は高校生のころは船乗りになりたくて大学では無線の勉強をしようと考え電気通信大学に入学しました。入学後はこの無線の最高資格である陸上無線技術士の資格をめざし勉強を開始しました。しかしこの資格はとても難しい資格で勉強は思うようにはかどりません。そこで何か自分を変えなければと思い高校生の時から吸っていたタバコの習慣を止めることにしました。タバコのひとつもやめられなければ陸上無線技術士に合格できるわけがない。結果禁煙と資格を勝ち取りました。止めた甲斐がありました。
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大学卒業後は当時の運輸省、今の国土交通省に入省し航空管制技術官として勤務しました。最初の赴任地は羽田、そして三宅島、そして小松空港に勤務しました。空港では航空管制の技術面の保守管理業務でした。空港は職員が24時間体制で勤務し交代制のシフト勤務でした。しかしシフトがかなりゆったりしていてはっきり言ってヒマでした。地方の空港は離着陸も少ないからでしょう。国土交通省は社宅が完備しているので住居の心配はありません。また各空港にはスポーツ施設も充実していて野球やテニスに力を入れていました。
航空管制官をして5年ほどたったころ実家のある長野県の放送局の知り合いから転職のお誘いがありました。放送局は免許事業でありこの陸上無線技術士を何人か社員として採用しておかなければなりません。その年資格者が退職して陸上無線技術士の規定の人数が足りなくなったので入社してくれないかという話です。私は長男であり将来は実家に戻る予定だったので渡りに船とこのお誘いを受けました。もちろん両親は大喜びでした。
地元の放送局では様々な内容の仕事をしました。カメラの操作、中継の技術、送信所の保守点検などです。キイ局ではありえないくらいの多岐に渡る内容の仕事です。その後東京のキイ局に移りました。ここでは全国放送の番組の生中継のコーナーのテクニカルディレクターとして働いています。キイ局に転職できたのもこの陸上無線技術士の資格を持ってるからだと思います。陸上無線技術士の資格を持っていてほんとうに良かったです。
第一級陸上無線技術士試験問題集(第2集) |
わたしはこの陸上無線技術士の資格を取ったお陰で職場としてはまったく毛色の違う仕事をさせてもらい大変なこともありましたが面白いことがとても多かったです。仕事に行き詰ったり、人間関係に悩んだりもしてきましたがこの資格のおかげでぎりぎりのプライドは保って転職してもそれなりに責任を持って仕事ができました。これはひとえに陸上無線技術士の資格のお陰です。これからまたもしかして違う職業にっつくかもしれませんがまたこの資格は役に立ってくれるかもしれません。